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塚崎透 プロフィール

九州造形短大、中退後、漫画家、仏像彫刻家等、様々な職業についた後、インドで瞑想を学んでいる中、ペインティングに目覚め、以後、本格的に作品制作に取り掛かる。

独立美術協会会友

第77回独立美術展(2009年)、初出展初入選以来毎年入選
個展 ZAIM(2007年、横浜)
個展 OSHOコミューンインターナショナル、数度開催(インド)
アートフェアーメルボルン参加(2006年、オーストラリア)
五人展参加 Step Gallery(2006年、オーストラリア)
富士山展参加 AIFACS Gallery (2009年、インド)


僕の、芸術について。 (和尚タイムズ、アジア版(2001年5月号)のインタビュー記事より。)


「瞑想と、あなたの芸術と、描いている時の内面状態について。」


  まず、今回のエキシビション(個展)で、僕が言いたかったことは僕の絵は、闇がとても重要だといゅうこと。

だから、今回のエキシビションにつき、僕は、[ETERNAL DARKNESS] とタイトルをつけたのだ。

[ETERNAL DALKNESS] などと言うと、おそらく人々はひどくネガティブな感じを持って、タイトルを見ただけで拒絶反応を起こす人もいるだろうと思ったが、僕はあえて、このタイトルをつけたのだ。

なぜなら、僕は人々に、闇についてもっと注目してもらいたいと思ったからだ。

以前、和尚の講話で、ニルヴァーナ(涅槃)について語っていた話を聞いたことがある。

その時、和尚が語っていたのは、ニルヴァーナとはロウソクの火を吹き消すということ。そして、其処にある静かな闇の状態がニルヴァ‐ナだと語っていた。

闇は常に今、ここにある。たとえ太陽の光のもとでもそれは永遠で、我々は、けして闇から逃れることは出来ない。

なのに人々は、闇を恐れる。この永遠性を、この静寂を。

僕は、絵を描くことを通じて、とても静かで落ち着いた空間に座ることが出来た。

そして僕は感じた、おそらく僕の絵は、この闇のような空間からやって来るのだろうと.....?

僕は一人で絵を描き続けた。何ヶ月も、何年も、僕は、この沈黙のスペースをキープした。

そして、確かに多くの時間、絵を描くことは僕にとって孤独な作業だった。

そして、何度も何度も、もうこんなものはたくさんだ、何もかもぶち壊しにしてしまえと思った。

それでも僕は絵を描き続けた。

そうこうしている内に、少しずつ僕の作品は形になっていった。

そうして、ごくまれにだがいつしか僕にとって絵を描くことは、決して孤独なものでなく、その沈黙の闇のようなスペースの中にくつろいでいる自分自身を感じる瞬間が時々其処にあった。

たった一人で絵を描いていると人々が僕に言う。

「お前は、ネガティブだ。もっと人生を楽しめ。」っと。

そんな時、僕は、人々が表面的なものしか見てないような気がして悲しくなった。

おそらく僕はその時、絵を描くことをトータルに楽しんでいたのだ。

僕は、僕の作品が生まれ出るまでの過程の一つ一つの中で、時として、其処には喜びがあり、悲しみがあり、怒りがあり、時としてこの存在とともに僕はダンスを踊っていたのだ。

そして、その時僕は思った。

もし、人々が、もっともっと深い闇(沈黙)の中に入っていく勇気があれば、彼らは物事の本質的な物を見極める目を持つようになるのではないのだろうか?っと.....。

絵を描いていて感じるのは、絵の中で描かれた闇が深ければ深いほど、其処には際立ったハイライトが現れて来るっということだ。

存在は、深い闇の中に光を持ち込むことによって形が顕わになって来るが、絵を描く場合、それとは逆に白い紙の上に色を乗せていって形を描くわけで、その基本的な紙の白が最も明るい光の色となるわけだが、その白い紙の上に、いかに効果的に光と影のコントラストを表現できるかは、限られた紙の白と、絵の具の黒の間の色の配分によって決まってくるわけだが、この限定された紙の白と、絵の具の黒の間で、いかに深い闇が表現出来るかが僕の絵の場合重要で、この深い闇が描かれた時には、そこにおのすと神々しい光も現れて来るといゅうことだ。

なぜなら光と闇は相対的なものだから闇が深ければ深いほど、其処にコントラストが生まれ光が輝きだすのだ。っと僕は感じたのだ。

そうして、僕は絵を描きながらこんなことを思ったのだ。

もしかしたら、我々の人生にしても絵を描くことと同様なのではないのだろうかと....。

この人生を光り輝いたものとするには、人生の深い闇を見つめることは避けては通れないのではないのだろうかと...?

おそらく、この人生の光と闇をトータルに生き抜いてこそ、我々は其処に深みのある、何か本物と呼ばれるような人になって行くのではないのだろうかと...?。

そして、この光と闇のバランスを見極め、最も美しい瞬間を捕らえることがそれこそまさにArtであり、瞑想ではないのだろうかと....?。


「植物の魂を感じられる絵をどのようにして描いているのか?」

それは、この存在の光と影を描ききれた時、植物であれ、人物であれ、何であれ、おそらく魂のこもった生き生きとしたものになるのではないのだろうか?

なぜなら、其処に描かれた、その光と影が、この存在の生と死そのものだと僕は思うから...。






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